致知出版社代表取締役の藤尾秀昭氏が監修し、各界各様の著名人から得た言葉を選び出し、一冊の本にまとめあげたのが「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」である。
その貴重な言葉を私も読んで得たもの感じた事をご紹介させていただきます。皆さんにも参考になればと思い記事にしました。
「今日の決心がそなたの家の存亡にかかわる」 二宮尊徳 農政家
二宮尊徳(にのみやそんとく)は江戸時代後期の農政家であり、通称は金治郎(きんじろう)と呼ばれておりました。
今や小学校で見かけなくなってしまったが、薪を背負いながら本を読んで歩く姿が像になっていたのが二宮金治郎である。「歩きスマホ」は危険とされる時代においては、はなはだ不謹慎なのかもしれないが、私たちの頃はこれを見て勉学に励むよう諭されたもんである。
さて、今回はその二宮尊徳が、ある富農家の父子に諭した一件をが書かれていた。
ある村の富農に、頭の良い子があった、それを江戸湯島の聖堂に入れて修行させようというので、父子同道でいとまごいに来た。私は心を尽くしてこれをさとしたものだ。
「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」より
最近では使う人も少ないであろう「いとまごいに来た」とは、「別れのあいさつに来た」という事になるが、その時に尊徳は言った。
何をいったかというと、 ーーーそれは良い事ではある。けれども、そなたの家は富農であって、田畑をたくさん持っているということだ。
「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」より
してみれば、農家としては尊い家株だ。その家株を尊く思い、祖先の高恩をありがたく心得て、道を学んで近郷村々の人民を教え導いて、その土地を盛んにして国恩に報いようと、そういうつもりで修行に出るならばまことによろしいが、先祖伝来の家株を農家だからとて卑しんで、むずかしい字を覚えてただ世間に自慢しようという気持ちならば、大きな間違いだろう。
「農家には農家の勤めがあり、富者には富者の勤めがある」という考えの尊徳からしたら、この父子はやるべきこともせず、役割を果たさない不届き者のように感じたのでしょう。
尊徳から諭された父子は、結局その従いに背いて江戸に出てしまいました。
そうして、修行も途中なのに、持っている田畑は人の手に渡ってしまい、ついにその子は医者となり、親は手習い師匠をして、今日をしのいでいたそうです。尊徳は心より痛ましい事だと嘆いたそうです。
今とは時代背景も違うので、必ずしもダメとは言えませんが、伝統あるものを引継ぎ大切にすることの重要性は勉学にも代えがたいものがあるという事ですね。また、そのために勉学に勤しむならば尚良い事であると尊徳は考えています。
一時のあこがれや、自慢だけで物事を判断することは、その家の存亡にかかわる事なので十分に考えて行動べきだと教えられました。
皆さんはどう感じるでしょうか? 興味があればいちど手に取って読んでみてください。
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